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亀田縞の歴史

亀田の町と亀田縞

江戸時代,元禄九年,木綿織(後の亀田縞)が生産開始とされています。当時,和綿栽培の北限となっていた亀田を中心とする農村地域で,冬場の内職で農家の自給用として織られるようになりました。

中谷内新田(後の亀田町)は水深く,米の生産に適さなかったことと,新潟湊と内陸との交通の要衝であったことから,元禄七年に六斎市を開くために埋め立てられ,亀田の町が誕生しました。木綿織はその二年後に生産が開始されたことになります。

寛政年間に,木綿織が亀田に運ばれ,売られたのが「亀田木綿織」の最初とされます。

その後,亀田縞を織る農民は,それぞれの取引で問屋へ製品を持参し,問屋は消費地の仲買人や亀田の六斎市で販売していたとされ,農家と問屋の系列化による問屋制家内工業の仕組みができていきました。

隆盛を極めた亀田縞

亀田縞の生産は明治後期から大正年代にかけ最盛期を迎えます。この時期には工場制手工業を主体とした織業が主体となり,家内工業を含めた600を超える綿織業者と染色などの関連業者による660業者で構成される産地となりました。高品質化と均一化のための組織が設立され,製品は北海道や東北に販売され,亀田縞は亀田町の近代化を支える地場産業となっていました。

亀田縞の終焉

昭和に入ると汚れに強く丈夫さが第一の農村衣料の需要は激減し,昭和13年からは戦時指定生産によって綿糸の入手が困難となり,亀田縞の歴史は幕を閉じることとなりました。

 

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