江戸時代の縞柄

亀田縞は江戸時代の元禄九年に生まれ、新潟県の亀田郷の人々の暮らしを支えた伝統織物です。江戸時代には縞柄がとても流行し、浮世絵の中にもそれを見て取る事ができます。亀田縞の生まれた新潟も大きな港町の一つとして栄えていました。創造的で平安な暮らしが300年と続いた江戸時代。亀田縞はこの時代にあった価値観や美意識を、自然の優しさを帯びた布を通じて表現していきます。                         


調和された平安な時代

亀田縞の誕生した江戸時代は、どんな時代だったのでしょうか。1603年に徳川家康が幕府を開き、始まった江戸時代は、平安な時代が265年続きました。当時は鎖国をしていたため日本独自の文化的な創造性が育まれていきました。その高い文化性により、江戸時代には、自然と『循環型社会』が生まれていたのです。

当時は米や作物を人間が育て、食べた人間の排泄物がまた肥やしとなり、作物を育てる、という食べ物を作る環境が連鎖をしていました。また草履や笠を、米を収穫したあとの藁でつくったり、屋根の材料にしたり、また植物でできているものは食事を作るための燃料としても使っていました。ロウソクのしずくを買い集める業者や、灰や肥を集めて農村に売る業者など、本当にありとあらゆるものが、リサイクルして使われていた時代だったんですね。

江戸時代の人々は、その高い文化的な創造性により、工夫をして、日々生活をしていたのです。そのクリエイティブな発想の一端は、江戸時代の町人の服装にみることができます。


江戸町人の美意識

武士、町人その他約128万の人口があり、大都会だった江戸。文化の主導権が貴族や武士から、町人にうつっていきました。当時幕府公認の遊び場だったのが歌舞伎や吉原(遊郭)で、これを舞台とした浮世絵に江戸の色彩文化を数多くみることができます。

華やかな文化が育った一方で、町人たちの暮らしに目を向けると、幕府からは200回を超える「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」が出されていました。(奢侈禁止令とは、贅沢(奢侈)を禁止して、倹約を推奨するための法令)

しかし江戸の町人たちは、当時の浮世絵が、気軽に手にとって楽しめる庶民の娯楽のひとつだったこともあり、浮世絵を通して、着こなし方や、色合わせを工夫して取り入れていったのです。

贅沢禁止の法の目をかいくぐり、表には地味色の木綿縞や格子柄などを使い、裏の見えないところに贅をこらす「底至り」(そこいたり)の美が育まれていきます。

現在、日本のファッションには縛りはありませんが、当時はその縛りがあったからこそ工夫をして、見えないところでおしゃれをしていたのが、かえっていまのわたしたちの目には「粋」に写りますね。

(底至り:外観はそれほど美しくはないが、表面に出ないところが念入りにできており、精巧なことー広辞苑より)


江戸時代に流行った縞模様

その「粋な」江戸時代のファッションの象徴だったのが、縞模様でした。縞模様には、縦縞、横縞、格子縞などがあり、経糸(たていと)(2本が基本でこれを一羽(ひとは)といいます。)に対して、何羽おきに糸をかえるかで縞模様ができます。

万筋(まんすじ)といわれる一羽置きに変える模様は最も細かい縞模様、また、太い縞に細い縞を組み合わせたもの子持縞など実にたくさんの縞柄がありました

では、亀田縞にはどのような縞柄があったのでしょうか。平成14年に亀田郷資料館に保存されていた布と見本帳が見つかり、当時の様々な縞文様が残されていました。

その縞柄に使われた配色は、藍色を地に、茶や、憲法黒など、藍、黒、茶、鼠色の組み合わせがほとんどで現代の私たちがみても渋くかっこいい『粋』な配色となっています。縞や格子柄は幾何学模様の中では主張が強い柄ですが、江戸の人々は、その微妙な配色によって、うまく着崩し、『粋』に着こなしたのではないでしょうか。


江戸時代の流行色

わたしたちは現代さまざまな素材や模様の衣服を自由に着ていますが、江戸時代以前には庶民の着物は麻が中心で、色もほとんど無地だったそうです。江戸時代に綿織物が登場し、衣類に大きな変化が訪れます。綿は麻に比べて肌に優しく、吸湿性があり、染色もしやすいということから庶民の間に普及してきます。

染色もしやすい綿の登場により色や柄を楽しむようになります。なかでも江戸時代を通じて好まれた色には、茶色と鼠色があります。「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」という言葉に示されるように、実にたくさんの茶と鼠色がありました。それだけでも微妙な色の変化を楽しんでいた事がわかりますね。

贅沢が禁止されていた時代なので、表地には地味な色を、しかし袖口や襟、あるいは裏地に反対色を使って、見えないところで色あわせを「粋」に楽しんだのでしょう。

また、当時は浮世絵を通して役者の名前をとった色が流行しました。


路考茶

路考茶

通称王子路考とよばれた歌舞伎役者の二代目瀬川菊之丞から


団十郎茶

団十郎茶

「市川團十郎」が代々用いた成田屋の茶色のことで、赤みのうすい茶色


梅幸茶

梅幸茶

俳名梅幸であった初代尾上菊五郎の好んだ色


高麗納戸

高麗納戸

屋号が高麗屋である松本幸四郎から


日本の色

日本の色の原点は、四季折々の自然界の色の中にあります。着物を彩る色の中にも、草花や昆虫など自然界の四季折々の色の表情を取り入れてきました。亀田縞の色重ねはその微細な中間色を絶妙に組み合わせることで知られています。お互いがお互いの色を引き立てあうのです。


創造的で平安の時が流れた江戸時代。自然の優しさを帯びた亀田縞の生地は、色彩豊かに江戸の価値観と美意識とを現代に蘇らせます。私たちのコンセプトがあなたの心の琴線に響いたなら、どうぞお気軽にお問い合わせください。